『乃木希典』抜粋

 乃木希典は明治、大正及び終戦までの昭和前期、日本国民より最も深く尊敬され仰慕された国民的英雄であった。だが今日人々はどれほどこの事実を知っているのだろうか。

 乃木希典は日露戦争においては旅順を攻略し一躍その名を世界的にするのみならず、明治天皇のみあとを慕って夫人とともに殉死を遂げた人物である。

(中略)

 これほど国民に親しまれた人物は、近代では西郷隆盛を除いてほかにいない。にもかかわらず戦後の日本人はかかる民族の英雄を軽視し無視して忘れ去らんとしてきた。戦後世代の多くは、東郷平八郎と同様乃木希典につき無知同然であり、その人物を正しく認識していない。

今日一般に横行している乃木観は極めて歪んでいる。それは、乃木は人格は立派でありかつ文人的才能はすぐれたいたが、軍人としてはきわめて戦下手で、手腕の劣る愚将であったとするものであり、多くの人々がこうした乃木観を何の疑いもなく鵜呑みにしている。

(中略)

 このことが正しく理解されずあくまで乃木を無能な愚将扱いするのは、日露戦争を大局より見ず、世界史的視野から捉えてないからである。20世紀初頭の世界を一言でいうなら、欧米列強の非西洋諸国に対する侵略、征服が頂点に達し、今一歩で彼らによる世界支配が完成せんとする時代である。非西洋諸国は全く自立自存の力なくことごとく隷従し、その侵略と支配に甘んじなければならなかった。欧米と非西洋の力の差は比較にならず天地の隔たりがあり、従って本来ならば日露戦争は起こり得べからざる戦いであった。万が一起こり得たとしても、日本が勝利することは断じて不可能というべき戦いであった。

 だがしかし日本はこの戦いに勝った。それはあえていうなら奇蹟的勝利であった。乃木はこの対露戦において重大な貢献をした。一つが旅順の陥落、もう一つが最後の奉天会戦における奮戦だが、日露陸戦の勝利をもたらす上に決定的役割を果たしたものであり、それは総司令官たる大山巌を別とすれば陸軍諸将中随一の働きであった。

(中略)

 乃木が生前より多くの日本国民に親愛され、死後益々一世を覆う敬慕を年を経るごとに深めていったのはなぜであろうか。いくら人間が立派で上手な詩歌を作ったとしても、無能きわまる愚将でしかなかったとするなら、どうして人々は国民的英雄として仰いだりしよう。乃木を仰慕した戦前の日本人はそれほど愚かで、乃木を無視している戦後の日本人はそれほど賢いのか。決してそうではあるまい。

 乃木を敬愛してやまなかった戦前の日本人の心情をなおざりにして、乃木を論ずることは空しくかつ正しい態度とはいえない。往時の日本人の心を激しくゆさぶり、人々の魂を強く打ち続けた乃木希典という稀有の人物の真の姿はいかなるものであったろうか。