インドネシア紀行 ―親日の炎の中へ― 中村 粲 編(獨協大学教授) 四六並製 262頁 定価:1500円+税 平成13年3月15日発行 ISBN4−88656−192−6 C0036 |
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無告の英霊が、大東亜の大地をして語らしめている。 我らがかつてはるばるここに来たように、君も来いと。 そして我らが命を懸けて戦ったあとを訪ね、祖国が失った歴史を見つめよと。 その地がインドネシアである。(西村眞悟代議士) |
「ムルディカ!」に秘められた大東亜戦争の遺産と独立戦争に果たした日本人の役割を現地にて取材。 |
「インドネシア紀行」に寄せて(西村眞悟) 序へ代えて―大東亜戦争の息づく国へ(中村粲) 国中にインドネシアの国旗(岩間弘) カリバタ英雄墓地にて想うこと(岩間弘) インドネシア独立戦争に散華されし英霊に捧げる言葉(鈴木一夫) 結婚披露宴と竜宮城(岩間弘) インドネシアに生きる日本女性(遠山野薔薇) 中島正周元ジャワ派遣軍通訳の話(先田賢紀智) ハッサン・ラハヤ氏に聞く中村粲) スムアル邸で『愛国の花』を合唱(先田賢紀智) PETA主催の独立記念祭に参列して(鈴木一夫) 小渕首相に申し上げます(川久保勲) 日本軍は労務者を殺してゐない(中村粲) パダンの浜辺に南十字星を見る(川久保勲) インドネシア独立の契機(高池勝彦) インド洋岸の渚にて(鈴木一夫) マタハリ チンダラ カミ サマヨ(先田賢紀智) 東チモールの独立について(鈴木一夫) インドネシアの五十四年、ASEANと日本(先田賢紀智) インドネシアの過去と現在と未来(中島慎三郎・先田賢紀智) インドネシアの社会と宗教について(佐々木健) インドネシア豆知識(先田賢紀智) あとがき(中島慎三郎) 日程表 |
《著者略歴》 団員紹介 中村 粲(なかむら あきら) 昭和9年東京生まれ。東京大学文学部卒。日本近現代史専攻。獨協大学教授。著書に『大東亜戦争への道』。パール判決書を注釈した『日本弁護論』(英文)並びに同判決書の英語原典全文を国書刊行会から刊行。雑誌『正論』に「NHKウォッチング」を連載中。いわゆる南京大虐殺問題では大虐殺否定派の先頭に立ち積極的に文筆、講演活動を展開。「昭和史研究所」代表として残された僅かな時間の中で歴史の証言を収集記録し、同研究所会報で公表し好評を博している。今回の研修旅行団の団長。 中島 慎三郎(なかじま しんざぶろう) 大正8年生まれ。昭和13年陸軍航空本部勤務。昭和14年12月、野砲第一連隊に入隊。昭和15年7月から、第五師団直轄の第二防疫治水部に奉職し、広西省、北ベトナム、上海、寧波、温州、マレー、シンガポール、ジャワ、アンボン、西部ニューギニア、ケイ島、セラム島に転戦し、昭和21年6月に帰国。以降は通訳をしながら戦史の研究に当る。インドネシア・ラヤ、インドネシア・センター、ASEANセンターを主宰す。今回の研修旅行団の通訳。 岩間 弘(いわま ひろし) 昭和3年台湾の台中生まれ。昭和17年、台南一中より宮城県角田中学校へ転校。昭和24年、米沢高専紡織科(現山形大学工学部)卒。埼玉県行田繊維工業指導書へ奉職。現在清掃用品リース代理店経営。著書『近づく平和憲法終焉の日』 鈴木 一夫(すずき かずお) 昭和7年愛知県豊橋市松葉町生まれ。生活難のため豊川東部中学校を中退し働きに出る。現在、鉄工所を経営。台湾、インドネシア、ビルマ、オーストラリア、ガダルカナル等大東亜戦争鎮魂の旅へ数多く参加。 川久保 勲(かわくぼ いさお) 昭和16年東京生まれ。東京大学卒。「日本ユニシス」にて二十五年コンピュター・システム開発に従事。現在、神奈川県茅ヶ崎市にて「しつけ」を重視した学習塾「無限塾」を経営。 遠山 野薔薇(とおやま のばら) 千葉県千葉市出身。津田スクール・オブ・ビジネス、日本基督教短期大学卒。翻訳業。 高池 勝彦(たかいけ かつひこ) 昭和17年東京生まれ。早稲田大学、米スタンフォード大学ロー・スクール卒。弁護士。サンフランシスコ、香港の法律事務所で勤務。著書『日本国民協議会憲法を考える』『不動産媒介契約の法律紛争』(いずれも共著)他。自虐的な教科書検定無効裁判、南京事件に関する裁判(対被告東史朗)、同じく南京問題に関する裁判(対被告李秀英)を担当。 佐々木 健(ささき けん) 昭和25年北海道生まれ。獨協大学外国語英語科卒。昭和第一高等学校英語教諭。 先田 賢紀智(さきた けんきち) 昭和30年鹿児島県沖永良部島生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。千葉県立小金高校英語科教諭。 林 英一(はやし えいいち) 大正9年東京生まれ。終戦時は山形県神町航空隊に所属。戦後、神奈川県の農地開拓に従事する傍ら、戦災孤児、引揚者、浮浪者の社会復帰に献身。また少年院・刑務所出所者等の更正に尽力。 廣瀬 辰夫(ひろせ たつお) 昭和15年生まれ。大阪学芸大学卒。小・中学校教諭の後、八尾市教育委員会指導主事。平成7年より三年間ロサンゼルス補習授業校校長。現在、金光藤蔭高等専門学校参事。 太田 雅彦(おおた まさひこ) 昭和33年石川県生まれ。獨協大学経済学部卒。神奈川県立湘南養護学校教諭。 |