改題の辞−覇権主義の嵐の中で国柄を考える


 今季号(平成十八年夏)より『新日本学』と改題するに到った思いの一端を述べさせていただく。

 旧『日本文化』を発刊するに当たって、私は文化概念を最大限に拡げ、政治にも経済にも固有の歴史の極印があるはずで、それを読み解き、自覚することは文化的営為にほかならないと考えた。文学や美術だけが文化ではなく、政治や経済のなかにひそんでいるはずのスタイル(型・文体)は必ずや固有の歴史に根ざしている、という直感であり確信であった。

 二十世紀の最後の十年を思い出していただきたい。グローバリズムやボーダレスという言葉が猖獗を極め、固有の歴史に根ざす全てのものが、あたかも障害物の如くにいわれた。ユニバーサリズム(普遍主義)という名の覇権主義がこれほどに露骨になった時代はかつてなかった思えるほどだった。思えば国際共産主義運動も二十世紀の前半に吹き荒れたユニバーサリズムだったわけだが、その文化破壊の革命思想が全面崩壊した直後から、こんどはアメリカ合衆国に発する歴史なき大国のユニバーサリズムが、グローバリズムと名を変えて猖獗を極めたというわけである。

 それに加えて中国が力をつけるとともに、中華思想に基づく華夷秩序の拡大を図りはじめたのであるが、これまた古代からの覇権主義にほかならなかったことが近年明白になった。われわれは二つのタイプの覇権主義に挟撃されているのだと自覚せねばならないだろう。

 そのような巨視的視野に立ってみれば、われわれは政治、経済、社会、文化のあらゆる分野において、歴史を再認識し、守るべきものを守るのだと決意しないかぎり、すべてが二つの覇権主義によって吹きとばされてしまうだろう。しかし、残念ながら今日の政治家や経済人においてその危機意識は希薄といわざるをえない。

 けれども旧『日本文化』に結集してくれた同志諸君はみな前述のような危機感を共有している。そのことに励まされつつ私は一昨年から拓殖大学日本文化研究所主催の公開講座『新日本学』を開くことにした。受講希望者は私の予想を上回ったし、受講者の熱心さも私の予想をはるかに超えるものだった。

 歴史的呼称としての「国学」ではなく「新日本学」とした理由は国際化という言葉がほとんど無警戒のまま氾濫している状況にかんがみ、あえて「日本」を意識せよと呼びかけたという意味であり、それに「新」を付けたのは、新しい状況を踏えてということである。つまり鎖国時代の「漢学」に対する「国学」という概念よりも広いイメージを持たせたかったということだ。

 さて、わが国の文化状況に目を転じると、戦後教育の弊害と軽薄な国際化によって求心力を喪い、根なし草同然になっている。たとえていえば、歴史のない国同然になったということである。国語と国史の軽視が続くかぎり遠からず、歴史の断絶は極に達し、あたかも暴力革命を経験した国の如き状況になるだろう。しかし、このことは子供世代に限ったことではなく、すでに大人の、しかも各界のリーダー層にまで及んでいるといわざるをえない。経済的思惟の過剰が、いかに歴史意識を稀釈し、歪めるかということもすでに経験している。

 公開講座の講師陣と受講者の熱意にうながされて、私はなんとかその期待に応えるべくカリキュラムを思案してきたのだが、ならば、講座の内容と機関誌の内容をもっと立体的に組み立てられないものかと思い、改題を決意した。そして願わくば、その連係を通じて、私どもの研究所が真にわが国の在り方を考える者たちの拠点になることを念じたのである。

 ご理解と倍旧のご支援を切にお願いする次第である。

   平成十八年七月十日

拓殖大学日本文化研究所
所長  井尻千男