創刊の辞

日本の名誉を守る会会長 阿羅健一

 ナポレオンの時代、国家間の争いが起きると、兵士同士が戦って決着をつけていた。第一次大戦になると総力戦となり、国民といえども部外者ではいられなくなった。誰もが戦争に巻き込まれるようになったのだ。その最たるものが第二次世界大戦である。敗戦国はいうまでもないが、戦勝国のソ連やイギリスでも国民に多数の犠牲者が出た。
 ところがその後、核兵器が出現したために総力をあげての戦いはなくなり、限定戦となった。その分、思想戦が強くなったといえよう。思想戦は今でいう歴史戦であり、宣伝戦とも言い換えることができる。
 日本は憲法というたがをはめられ、九条があるために軍事的な戦いができない。他国との対立が激しくなれば、手をこまぬくか、アメリカに助けを求めるぐらいしか選択肢がないのが現状だ。
 しかし、思想戦にたががはめられているわけではない。戦う意欲があるなら、いくらでも戦うことができるのだ。しかも昔からいわれているように、思想戦で勝つことは上策でもある。
 今、日本は思想戦をどのように戦っているだろうか。その戦いでは勝っているのか、負けているのか、あるいは互角なのか。
 身近な例を見よう。慰安婦という思想戦がある。南京事件という思想戦がある。これらの思想戦での戦況はどうなっているのか。慰安婦では韓国に負けていないのか。南京事件では中国に負けていないのか。いうまでもなく負けている。しかも完敗である。日本は軍事的な戦いができないだけでなく、戦える思想戦でも敗北しているのだ。
 若者よ、頭脳を磨け! 筆の力を鍛えよ! そして思想戦で戦え!
 そのために『國の防人』という練兵場がある。この練兵場は厳しいが、いつでも開いている。捲土重来も可能だ。
 若者よ、我々は待っている!